自己紹介

仕事のこと の続き

先日書いた仕事の件ですが、だんだん方向性が見えてきました。

自分の状況や身体的特徴を考えると、大学教員という肩書は、仮に日本に戻るとしても、ロシアに留まるにしても、将来のための保険として捨てがたい、という結論に至ったんです。

それに、正直に言って私の視力では、一般的な会社勤めはスピード&正確さの面で無理があります。同じアルビノでも頑張っている人はいると百も二百も承知です。こんなことを書くのは不謹慎かな?とも思うのですが、障がい者枠だったら向こうも程よく諦めてくれるのだろうけど、私はちょうどボーダーラインにいる人間です。なので、眼鏡をかければ見えるようになる人たちと互角にやっていくことが求められる……というか、”普通の人”達と組んでやっていくことになるでしょうから、周りに多大な迷惑をかけることになるのが目に見えています。そういう意味で、教師、特に大学講師のようにほぼ個人プレーの環境は、私自身、そして私の周りの人の負担が極力減らせる仕事なのかな、と思うようになったんです。

というわけで、今のところ、来年度(9月)からまた大学の仕事に戻るつもりでいます。そこで気になるのは数年前の法改正。

ザックリ言えば、「大学で教壇をとるのは院卒に限る」というような内容の物。余談ですがうちの学科の場合、この法律が施行されたころは、これを守ろうとすると教師がほぼいなくなる=学科壊滅が免れない状況だったので、当時まだ学士だった教師(修士コースで勉強中)も授業を受け持っていました。

さて、かくいう私も(首の皮1枚)学士の身。例の法律が外国人講師にも適用されるのか、大学に聞きに行ってきました。結果は……

学科長「知りません。人事課に聞いてください。」
人事課「知りません。学部長に聞いてください。」

始まりました、いつものたらい回し(ロシア語ではフットボールと呼ぶ)……と思いつつ、私が勝手に学部のファッショニスタと呼んでいる学科長のところへ。すると、

学部長「知らないわ(キッパリ)。でもあなた、勤続年数長いし、
    そろそろ上行かないと。だから是非とも大学院行ってね!」

と、意外とアッサリ終わりました。
産休に入る前の数年も、自分なりに頑張ってはいたけれど、完全なるぶら下がりだったので(自覚アリ)、さすがに大学側も目を瞑っていられないのでしょうね。現段階では来年度、どんな専攻の修士コースがあるかまだ決まっていないので、7月初めあたりにまた学部長のところに相談に行くことになりました。

さーて、産休前の無給休暇(引継ぎを最低限にするために年度初めから2か月半)、産休、育休、ほっぺちゃんの入園待機のための無給休暇……と、そろそろ丸4年になる私の自宅警備生活の終わりが見え始めちゃいました。

どうなることやら~

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